詩画展 7月2日〜6日

三たび目の個展を開催します。9月には埼玉でも展示を予定しています。


神の名が
いらないとして
一体、人はどうやって
謙虚でいられる
だろうか

−−−

雨上がりの
冷気と緑に
吹き飛ばされて
しまいそうなんだ
南国の冬

−−−

インドで、日本で、バウルの修行をしながら、心に残った風景や印象を画にしています。自分を刀で削り続けるような日々、零れ落ちた「私」の言葉を、五行歌にして残すようになりました。
眼で見ているのか、肌で見ているのか、分からなくなる時があります。その感覚がはたして共有できるものか、疑問を抱えながらの三度目の個展です。

7月2日㈰〜6日㈭
12時〜19時 ※最終日のみ17時まで
初日2日18時より、レセプションパーティあり

会場:ディープダン http://www.deepdan.com
(下北沢駅、池ノ上駅より徒歩圏内)

会期中、作家は終日、楽器と共に在廊します。

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悶々

 どうもこの頃悶々としていて、「あ、ひょっとしてこれが、いわゆる【悩んでいる】状態なのかな」と思い至った。今まで、「悩んでいる」という感覚はよく分からなかったので、おめでとう私、というべきか。また人間に近づいたかな。

 つくづく、人が十代のうちに体験するような感情を、すっとばしてきたのかもしれないなあ、と思うこの頃。何も知らない自分が浮き彫りになり、ぽろぽろと我の鱗が剥がれこぼれて、むき出しの皮膚が赤く明滅しているような感じ。

 情報の出し方も色々、考えている。出し過ぎもいけないけど、やはりある程度は出して行く必要性があるのかな。メディアは絞りたいけど、色々対応しておいた方が良い気もする。でもたとえばこのブログは、こんな感じのままにしておきたいし。

 時間がほしい、時間がほしいとばかり思っている。
 アクセスできるリソースがあるうちは、頼るべきなのかもしれない。

アミット・ロイとバハウディン・ダーガル

 少し前のことになってしまったけど、アミット・ロイ氏のシタールを聴きに行った。あまり東京にはいらっしゃらない方だけど、以前にも一度だけ聴いたことはある。正直その時は、「よく分からない」という感想だった。

 ただ、私は寺原太郎さんの笛がとても好きなので、その師匠すなわち、いわばルーツであり、彼が惚れ込んだ音というものを理解してみたかった。他にも、アミット・ロイの音に首ったけ、という方々はいる。ということは私が聴いた前回の何がしかのコンディションだとか、私の状態が良くなかったのではないか、と気になっていた。

 それで今回。
 すごく良かった。

 星空が広がって行って、漂うようにボーッとしてしまう感じ。

 この感じ、覚えがある気がする…と思ったら、ルドラ・ヴィーナのバハウディン・ダーガル氏の音だと気づいた。師匠の親友といってよい方なんだけど、彼の音を聴いた時にも、同じような感覚、体感だった。

 だから何かと言うと、よく分からない。両者ともインド音楽の真髄に触れている、ということなのかもしれないし、たまたまお二方のめざす所だとか、あるいはラーガが単純に似ていたのかもしれない。ただ、「あ、同じ感じだ…」と思った、それだけとりあえず、記録しておく。

 アミット・ロイ氏は、あとは包み込むようなアニキぶりだった。この感じは、TVGを見た時以来だと思う。あそこまで音を追究してきた人が、あの余裕を持つというのは、並大抵のことではないように、思われる。

 私はどうしても、「インド音楽が…」と過剰に持ち上げる言説が好きにはなれないのだけど、この頃色々な音楽を聴いたりして、それでもやっぱり、ここにとてもピュアな形で引き継がれてきたものがあり、そこに私が物凄い価値を見出だしていて、他では中々満足いかなくなっていることも確かなのである。

茨木のり子のこと

 ふと立ち寄った本屋、割に近所にある個性ある本屋で、たまたま茨木のり子の「おんなのことば」を手に取った。

 茨木のり子と言えば、国語便覧に載っていた「自分の感受性くらい」。割に好きだったから、十年以上前に彼女の詩集を探してみて、だけどピンと来なかった記憶がある。

 今回目にとまって買わされてしまったのは、「娘たち」という詩だった。

 縄文から奈良から、今に変わらぬ娘たちのみずみずしさや輝きを詠っている、この詩が手放せなくさせた。

 今朝再び手に取って、巻頭の「自分の感受性くらい」を読み、この詩がほかでもない自分自身に向けたものであると気づく。

 いつしか茨木のり子に対して、どこか説教臭いおばさんというような、そんなイメージを持つようになっていた。しかしそうではなくて、ひたすらに自己に挑み続けた人なのだと気づく…感性はやわらかいままで。そういう怒りと共感を持っていた人なのだろう。

 童話屋の編集や詩の選び方もあるとは思う。童話屋の詩集は、とにかく特別。編集者の田中和雄さんの感性が大きな役割を果たしているのだろう。

 いつか童話屋から詩集が出せたら…というのは、私の大野望でございます。

「聖書の土地と人々」

 「聖書の土地と人々」(新潮文庫)という本をとても面白く読んだ。曾野綾子はとても曾野綾子だし、三浦朱門はとても三浦朱門なんだけど、案内人の河谷さんがたぶんとてもバランスの良い人で、それがそのままこの本の良さというか、イイカンジのバランスになっている気がする。

p347より引用
「旧約の厳しさというかユダヤ人の厳しさに対する福音の愛は、イエスの背景に厳しい砂漠の姿を置かなければなかなか浮かび上がってきません。ガリラヤ湖畔のやさしい風が吹いて、そういったところだけでなく、エルサレムあたりのファリサイ的岩盤といった厳しい自然の中で、イエスが愛という言葉を吐かれた。日本で愛という言葉を聞くと、何かなよっとした感じですけれども、先ほどのパウロではないが、旧約の立法の世界、あの灼熱の砂漠を背後にして愛ということは、砂漠的人たち、トーラーを支えに生きている人たちにとっては、滅びよということと同じではなかったか。非常に切れ味鋭いドスを突きつけられたような言葉が愛ではなかったかと思うのです。」

 ところで「聖☆おにいさん」という漫画があって、イエスと仏陀が現代日本で漫才みたいな暮らしをするという内容なんだけれども(うろ覚えの知識で書いています)、たしかにイエスと釈迦は共通しているところがあるのだな。

 というのは、イエスがユダヤ教という世界の中から出て来たように、釈迦もヴェーダ的な、バラモン教の世界の中から出て来た。それぞれ既成の階級や社会構造を揺るがすような概念を唱え、支持も得たけど敵も作った。

 インドではよく「クリシュナもエホバもアッラーも同じさ」みたいにしたり顔で言うおじさんがいるけど、それはひとまず置いておいたとしても、違うように見える「宗教」もある種の連続性の中に存在することが多い。

 三浦朱門がちょこちょこ遠藤周作を引用する一方、曾野綾子が遠藤にはそんなに同意しないわという風なのが、何だかおかしい。私は遠藤周作がけっこう好きで、あのしめったロマンチシズムが好きというのは、私の男っぽさだと思う。
 
 バウルでは聖者のことをよく歌うので、聖者と神と修行者と、その辺の感覚的な境目が曖昧になるところがかなりある。だからなのか、色々な土地や時代の宗教者やシャーマンや、そういった人の生きたリアリティみたいなものが、この頃はとても気になる。

4月2日公演のご案内+前回のご報告少し

prof_kari

 先日の日本初公演、おかげさまで盛会のうちに終了いたしました。みなさまありがとうございました。

 告知をしたからには報告を少しブログにも書こうと思ったものの、何を書いても上滑りしてしまう。確実に言えることは、「良かった」ということ……初めての会としては、とても本質的な手応えがあったように思う。あの場所で、あの方々と、この会を迎えられて良かった。

 感覚としては色々あるのだけど、これからを通してしか証していくことのできないことばかりで、たぶん文章に残すべきことがあまり無い。やっぱり詩の方がいいな。

 実は次の公演もすぐに決まっていて、そちらは初めて人前で歌うものばかりなので、ひとまずは既に、そちらに取り組まなければ。

 というわけで、詳細は以下でございます。

***

バウルの歌と踊り「雨雲を恋ふる鳥」

「チャトク鳥はじっと待つ 雨雲を恋ふて なのに雨雲は よその国に
 雨を降らせる」
「笑いながら罪を犯し 一体どれほどの命を いたずらに傷つけて来ただろう」

 放浪の吟遊詩人とも呼ばれるバウル、ベンガルの修行者たちにとって、歌は人生を導くみちしるべです。天を貫くような高い声は、赤子が母を求めるように。一弦琴「エクタラ」と小鼓「ドゥギ」を奏でつつ、足につけた「グングル」で鈴を鳴らして舞い歌う、伝統的な一人で完結するスタイルを学ぶ佐藤友美の、師の許しを得て本邦二回目の公演です。

2017年4月2日(日)
開場14時 開演14時半
会場:高円寺Grain [http://grain-kouenji.jp/]
チャージ:2000円+1ドリンク
予約:tomomi.paromita@gmail.com

バウルとは: 舞い歌う行者。いにしえから連綿と受け継がれて来たヨーガ行の流れであり、その源流は15世紀の聖人チャイタニヤにも、8世紀の仏教遊行僧にも遡れる。イスラム神秘主義のファキールやダルヴィーシュ、更には土俗的で肯俗的な女神信仰など、様々な要素を包含した詩を歌う。今もインドの西ベンガル州やバングラデシュ地域を中心に生きている伝統。

TOMOMI PAROMITA (佐藤友美)
バウル行者、画描き、五行歌人、翻訳家。
1986年、埼玉県生。パルバティ・バウルに師事。
幼少時から画を描く。4—10歳をオーストラリアとシンガポールで、十代を日本で過ごす。青夏会の松本一に画を師事。
オーストラリア国立大学にてサンスクリット語と言語学を学び、意味論の権威アンナ・ウィアツビッカ教授の、先入観を是としない向き合い方に大いに影響を受ける。サンスクリット詩の詠唱から歌に興味を持ち、2008年に南インド古典音楽にふれ、2011年よりまじめに学び始める。ケーララ州にて就職中の2013年パルバティ・バウルに出会い、バウルの道に入る。
現在は修行のため、日印を行き来する生活を送り、日本滞在時は新座石山社中にて武州里神楽の舞を学ぶ。
2017年1月、ケーララ州トリバンドラムにて初公演。
ホームページ [www.tomomiparomita.com]

会場:高円寺Grain
[http://grain-kouenji.jp/]
東京都杉並区高円寺北3-22-4 U.Kビル2階
(JR高円寺駅北口、中通り商店街、中華料理「成都」2階)
TEL&FAX:03-6383-0440

ニンニク

 右手だけが異様に冷えて、二週間ほど前にもこういうことがあったのだけど、調べてみたら「脳梗塞の前触れの可能性アリ」なんて出て来て、怖くなって、トマトとニンニクのスパゲティを食べに行った。(ニンニクは、血栓をとろかすらしい、と聞きかじって)

 食べている間は、「ああ美味しいなあ」というぐらいだったんだけど、食後のお茶をいただいている時、明らかに血が巡って来る感触というのがあって、ちょっとびっくりした。冷えていた血液がゴロゴロと暖かく流れ出した時の、あの、ちょっと気持ち悪いような、むずがゆいような感じ。

 あまりにも効果覿面で、呆気にとられるほどだった。さすが、山伏が冬を越すのに頼っていた魔法薬(と、書いてあるのを読んだ気がする)。

 わたしは普段、ニンニクはそこまで食べない。というのも、体質的な問題で、翌日明らかに臭うのだ。お腹が弱いから。でも、食べた方が体調には良いような感じも元々あって、中々食べられないのが非常に残念だったのだった。

 厳しいヴァイシュナヴァはニンニクも玉ねぎも食べないわけだが、こういうこともあるし私は、体質もあるから堪忍していただくしかないかなあ、と思う。